障がいを抱えても、僕はここにいる ~マーケティング現場で輝き続ける~
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ライター:飯塚まりな
「夜中に起きようとしたら、身体が動かなくなりました」と話すのは、株式会社SmartHRの樺山英孝さん(44)。2023年10月、脳梗塞を発症し左半身まひの後遺症が残りました。それでも諦めずにリハビリに専念し、仕事に復帰します。倒れる前と同じ職場に一般雇用として復帰。今後も安定して仕事を続けられるのか、将来への不安はあるものの「当事者の力になりたい・発信したい」という思いから、社内で率先して行動を始めました。
突然の脳梗塞、そして後遺症
「僕をMedia116で取材してもらえませんか」と、樺山さんから編集部あてにご連絡をいただいたのは今年の3月。取材場所は六本木にある株式会社SmartHR。クラウド人事労務ソフト「SmartHR」を提供する急成長企業です。
一歩足を踏み入れると、広々とした空間に圧倒され、「ここはオフィス?」と戸惑うほど。カフェのような雰囲気が漂いながらも、壁には企業ロゴが掲げられ、都内の景色を一望できるミーティングスペースが印象的でした。
▲株式会社SmartHRの社内風景
SmartHRは障害者雇用にも力を入れ、さらに昨年の夏からDEIB(Diversity、Equity、 Inclusion、Belonging)の取り組みを推進しています。多様性を尊重し、誰もが公平な機会を得て、その人らしくチャレンジできる環境づくりを進めているそうです。
「こんにちは、はじめまして」とラフな格好で登場した樺山さん。ミーティングスペースへ私たちを案内し、向かいに座ってノートパソコンを開きました。
一見、脳梗塞の後遺症があるようには見えません。けれども右手のみでキーボードを操作し、左手は下ろしたままでした。
樺山さんはこれまでに、いくつか転職を重ね、4年前にSmartHRへ入社。大手企業向けのマーケティングを企画・推進する仕事に携わり、「仕事が大好き」と語るほど、仕事に没頭していました。
そんな充実した日々を送ってきた中、突如訪れた病により生活が一変。働き方も思考も変わっていったのです。
同じ職場で働くという選択
樺山さんが脳梗塞を発症したのは自宅で寝ていたときでした。夜中に目が覚めて、トイレに行こうと起きあがろうとした瞬間、身体に力が入らず、そのままベッドから転げ落ちてしまいます。
▲インタビューに応じてくださった樺山英孝さん
幸いスマートフォンが手の届く場所にあり、慌てて隣の部屋にいた奥さまを呼びました。痛みはないものの、救急車で搬送されると、間も無くして痙攣が始まり、「ただごとではない」と強い不安を感じたと振り返ります。
診断結果は脳梗塞。幸い早期発見で手術は不要でしたが、左半身にまひの後遺症が残りました。その後は後遺症の影響で、階段は手すりが必要になり、体幹の維持が難しくなります。
また顔の表情も動かしにくく、失語症で言葉に詰まる場面があり、さらに短期記憶障害で買い物や必要な家事を忘れてしまうことも増えたと話していました。
退院後は仕事への復帰を一番に目指しました。驚くべきことに、発症前と同じ会社に在籍できたことだけでなく、部署やポジションの変更がなかったそうです。
樺山さんは復帰前に上司に相談し、「この方法であれば働き続けられる」と自ら今後の働き方を相談して、現状維持にこぎつけました。もちろん、樺山さんのこれまでの実績が評価された結果でもありますが、正社員として以前と同様の収入も得て、安定した生活を送っています。
今の自分を受け入れる
実際に働く上での配慮を伺うと、復帰後は体調面を考慮し、自宅でのリモートワークが中心になっているとのこと。片まひの影響で強い疲労感を感じることがあるため、スケジュールを調整し、有給休暇を活用していると話していました。
本社へ出社するのは週に一度。フレックスタイムを利用し、満員電車を避けて通勤しています。
▲復職後も変わらぬ情熱で、職場に立ち続ける
樺山さんは日頃から杖や装具を付けず、履いている靴も医療用ではないため、見た目には健常者と変わらなく見えます。一見、よいことのようですが、逆に危険な場面に遭遇することもありました。
「つい最近も、駅の階段で転んでしまいました。誰からも手助けはなく、片手だけで起き上がるのはとても難しかったです」。心配する奥さまからは「日頃からまひ手を三角巾で吊るなど、外見で身体が負傷していることをアピールした方がいい」と勧められたとのこと。
また、日々の業務で配慮がある一方、「今日はできても、明日はどうなるか分からない」と日々の不安も口にしていました。
「このまま仕事を続けられるのかと。後遺症で“前の自分とは違う”ことは仕方ないですが、それでも今の状況を受け入れなければならないです」と穏やかな口調の裏には、強い葛藤を感じられました。
会話一つも気遣いと工夫を
日々の業務の中で不便に感じる点を聞くと、「本当は社内やトイレが自動ドアなら理想的です」と樺山さんは話しました。
会議や商談には右手にパソコンを持つため、ドアをスムーズに開けることが難しいのだとか。また、社内のイベントでは重い荷物などを運ぶには周囲に協力を求め、できる範囲で対処していると話します。
特に気遣っているのが、社内外で発生するコミュニケーション。あらかじめ失語症の症状があることを伝え、会話に齟齬が起きないように心がけていますが、業務に支障をきたさないよう、常に集中し、メモも欠かさないようにしています。また、社外の方や上司・同僚と話した後には「自分の話はきちんと伝わり、理解してもらえたか」を相手に確認をとるようにしています。「問題ない」と返事があればほっと安心するのだそうです。
▲エントランスのドアノブに点字が
取材中、樺山さんとの会話に違和感を感じることは一切なく、丁寧で話しやすい印象でした。それを伝えると「よかったです」と少し照れたような表情が見られました。
今も構音障害のリハビリで、定期的に通院し、言語聴覚士による発音や発声の練習、口まわりのマッサージなども欠かさず続けています。“以前の自分”に近づけるよう、繰り返し訓練に励んでいます。
「今はありがたいことに周りの理解があって、僕はとても恵まれています」そう語る樺山さん。しかし、その言葉の裏には他人からは見えないところで、想像以上に努力の積み重ねがあることが、よく伝わりました。
マーケティングの知見を制度づくりへ
今後、樺山さんの働くSmartHRはどのように変化していくのでしょうか。
取材時、そばにいた人事統括本部の新名咲さんは「今、弊社では合理的配慮の窓口を作っています。たとえ障がいや病気を発症しても、仕事を辞めることなく能力を発揮されてほしい。樺山さんとも協力しながら進めていきます」と語り、共に今後の進展に期待していました。
▲左から人事統括本部の泊さん・新名さん・樺山さん
樺山さん自身も、「自分と同じような障がいであれば、“もっとこうだったら”と感じているはず。社内で発信できる機会を増やせないか」と動き始めたその第一歩が、今回のインタビューとなりました。
発症前にできていたことが、今は難しくなった。けれど、樺山さんは自身が障がい者になってから、社会の中での「気遣い」や「思いやり」がより一層大切だと感じたと言います。
リハビリを続けながら生活上の不自由を抱えて働く日々について、「それでも私はいい意味で周りが気遣ってくれて、同僚も家族も変わらず接してくれています。経済的にも前と変わらず過ごせるのは周囲の理解があったからこそ」と語っていました。
障がいを経験したからこそ、自分には何ができるのか模索し、これまでのマーケティングの知見を制度や仕組みづくりにも生かしながら、当事者として関わっていきたいと希望がありました。
「弊社はHRシステムの会社です。人事やタレントマネジメントやDEIB※(多様性、公平性、包括性、帰属性)に関する分野で、当事者の声として僕が企画に関われたらうれしいです。社内外に届ける役割を担い、私たちのシステムが必要な企業に響くかもしれません」と明るく前向きな姿勢です。
最後に読者へのメッセージをもらいました。「僕も、自分の障がいを周囲に言いにくいことがありますが、“自分がどうしたいのか”を口に出すことで前に進めます。話を聞いてくれる人は、きっといますので、誰かに思いを伝えることを大切にしてください」と話していました。
どんな状況でも、仕事を続けることができる環境を目指して。
樺山さんの姿は、これからの働き方における一つの指針となるでしょう。
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ライター 飯塚まりな
フリーライター/イラストレーター 近所の人から芸能人まで幅広いインタビューを行う。取材実績は300人以上。 フリーペーパーから始まり、現在はwebメディア、書籍、某タレントアプリなどで執筆。 介護・障がい者施設での勤務経験あり。「穏やかに暮らす」がここ数年のテーマ。
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