「一粒の重さを知ってほしい」自己判断での断薬がもたらした末路
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ライター:わに
みなさんこんにちは!てんかんと闘いながらゼネラルパートナーズでライターをしているわにです。みなさんは処方されたお薬をちゃんと毎日飲めていますか?私は服薬していてもてんかん発作が起こる「難治性てんかん」なので約1年前まで「薬なんか飲まなくても変わんないでしょ」という甘い認識を持っていました。そしてその認識が私の未来を変えてしまうことになったのです・・・。
「面倒臭いからいっか」その考えが悲劇を生んだ
「断薬」というのはこれまで継続して飲んでいた薬をやめることです。薬を断つ場合、医者に相談の上だんだんと薬の量を減らして断薬していくのが正しい手順ですが、今回の私の話は自分で判断して勝手に、そして急に薬をやめてしまった、というパターンです。
あれは約1年前の話でした。その当時私は個人向け営業の仕事をしていました。何事もなく順調に毎日を過ごしていたのですが、ある日薬を飲もうと思ったらある1種類の薬が足りなくなってきていることに気づきました。「あーあと3錠しかない・・・病院に行ってもらわなきゃなー」と頭ではわかっていたのですが「面倒くさい」という感情が上回ってしまったのです。
そしていよいよその薬がなくなりました。「まあ、病院まであと2週間だし、それくらい飲まなくても大丈夫だよね」そんな甘いことを考えていたのです。もし今戻れるなら、即病院に行って追加の薬を貰うでしょう。しかしその時の私はその「断薬」がどんなに恐ろしいものなのか想像もつかなかったのです。
自己判断での「断薬」が私の今後の人生を変えた
自己判断で断薬して1週間ほど経った頃です。今思うと知らず知らずのうちにだんだんと異変が起こっていたのかもしれません。気分が落ち込むことが増え、そして落ち込みの振れ幅が大きくなってきたのです。
今まで希死念慮はなかったのに「死にたい死にたい死にたい」と、それだけを考えるように。そしてベランダに飛び出して実際に飛び降りようとしたり・・・行動が明らかにおかしいはずなのに当時の私はそれすら気づかないくらい何かにとりつかれたように。その時の私に「意志」はなかったのです。
もちろん会社へは行けなくなりました。体調が落ち着くまで欠勤することに。そしてその状態では現在の業務を継続することは難しいという会社と自分の判断もあり、部署異動をすることに。異動先が決まるまではずっと自宅にひきこもって、体が動かず気分の落ち込みも激しく一日中ベッドにいるような生活でした。外に出ようものならたった3分で着く駅までの距離が怖くて歩けず、人と接することも怖いのでどこにも行けないという精神状態でした。
病院に行ってついた診断名は「器質性気分障がい」。「器質性」というのは先天的に持っているてんかんに属した、と言う意味です。断薬だけが引き金になったのではなかったのかもしれませんが、その時から私の症状は変化していきました。私の場合、急に気分の変動があり間隔が短く幅が振れ大きいという特徴と、一人では外出が困難であるという特徴がありました。これまで何ともなかった人込みが怖い、外の世界が怖い。行きたいところにも行けない、やりたいこともできない・・・行動が制限されるようになったのです。
その後ライターとして仕事には復帰しましたが、外の世界が怖かったり人と交わるのが怖かったり、社内にいることにさえ不安を感じたりする日々が続き、現在ではほぼ在宅で仕事をしています。プライベートでは遠出ができなくなり、知らない場所に行けなくなり、過去にできたことができなくなったのです。
たった一粒の重さを知ってほしい
あれから約1年が経ち、努力の甲斐もありだんだんと症状も改善してきました。近場や行きなれた場所なら一人で外出できるようになったり、最中に気分を崩すことがありますが誰かと一緒であればちょっと遠出をすることもできるようになったり。しかし、「あの時断薬しなければこんなことにはならなかった」今でも楽しく自由な生活が送れていたかもしれないと悔やんでも悔やみきれません。
たった一粒の薬が私の人生を左右していることをどうして気づかなかったのか・・・。たかが一粒、されど一粒。この私の愚かな体験から、みなさんにはどうか「服薬をする」ということの大切さやことの大きさをもう一度思い返して頂ければと思います。
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ライター わに
17歳の時に側頭葉てんかんを発症、精神障害者手帳2級の障がい者。 酸いも甘いも経験してきた熟れ時アラサー女子。 「全力で働き全力で遊ぶ」がモットー。 誰彼構わず噛みつき周囲をヒヤつかせるため「わに」。 過激な記事を投稿しようとし編集長に止められるのが日課。
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