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「無理なことはない。可能性は自分で切り開いていくもの。」~女優・ダンサー 貴田みどりさん【後編】~

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「無理なことはない。可能性は自分で切り開いていくもの。」~女優・ダンサー 貴田みどりさん【後編】~

ライター:Media116編集部

ろう者の女優として活躍中の貴田みどりさんは、日本だけではなく海外8カ国の手話も習得されています。インタビュー後編は、そんな貴田さんと手話の出会いについて。初めて手話の存在を知ったときのエピソードや海外での経験、周囲とのコミュニケーションについてのアドバイスもいただきました。

初めて手話と出会い、広がった世界。

——手話の存在を初めて知った時のエピソードを教えていただけますか?

私は中学生の頃に初めて手話を目にし、手話の存在を知りました。それまでは、学校で孤独を感じることがありました。コミュニケーションの問題や、本当はもっとみんなと一緒に遊びたいという思いもありました。そんな悩みを抱えていた時に、手話でパフォーマンスを行っている人たちのライブを観たんです。聴こえない人が楽しそうに歌っている姿はキラキラ輝いて見えました。「この人たちと自分との違いはなんだろう、自分もあのようになりたい」と思えた瞬間です。

——貴田さんは外国の手話も習得されています。どのような理由で海外の手話を覚えようと思ったのですか?

大学では国際関係学部に進みました。日本と海外の文化を比較することに興味があったからです。まず学んで、実際に海外へ行ってその文化に触れると、手話とその国の文化には密接な関わりがあることがわかりました。例えば、日本の「ありがとう」は相撲の所作から来ていますが、アメリカの場合は投げキッスをする仕草。そんな違いや由来を分析することが、そのままその国の文化を理解することにつながって、日本との文化の違いを知ることになります。それが楽しくて、様々な国の手話も覚えるようになりました。それに、聞こえる人たちは外国人とコミュニケーションを取るために外国語を覚えるのが大変だと思いますが、聞こえない人同士は手話を使ってすぐに通じ合えるんですよ。

——今まで何カ国くらいを訪れたことがありますか? 福祉面で日本との違いを感じたのはどのような点ですか?

シンガポール、タイ、アメリカ、中国、韓国、スウェーデン、フィンランド、モンゴル、オーストラリアの9か国です。現地のろう学校を訪ねて補聴器を届けたりしながら、日本との違いを自分自身の目で見てきました。

9か国の中でも福祉面が特に充実していると感じたのは北欧です。スーパーで買い物をした時に、レジ係の女性が手話で積極的にコミュニケーションを取ろうとしてくれた経験があります。聞こえない人たちへの理解があると感じました。日本にはない設備も整っていて、店内には地震や災害が起きた時に点灯して知らせるランプもありました。

貴田さんが手話で話している写真

——貴田さんは今年、NHK Eテレ 「みんなで応援!リオパラリンピック」という番組の手話キャスターを務めていらっしゃいました。その経験を通してどんなことを感じましたか?

この番組ではNHK初となる「ユニバーサル放送」が採用されましたが、リオオリンピックの番組には採用されていなかったことは残念でした。でも、前回のロンドンオリンピックの時にパラリンピックをここまで取り上げる番組がなかったのに比べれば、大きな前進ですよね。やはり2020年の東京オリンピックとパラリンピックは、みんなが楽しみにしているものなので、それを取り上げる番組も障がいの有無を問わず、みんなが楽しめる番組であって欲しいです。

そしてもう一つ。現在はオリンピックとパラリンピックの運営組織が同じですが、聴覚障がい者による総合スポーツ競技大会「デフリンピック」は、まだ別の組織が運営しています。これが同じになることで、もっとたくさんの人にデフリンピックのことを知ってもらい、いつかデフリンピックの番組放送も実現したらいいな、と思っています。

もちろん、とても良かったこともあります。「パラリンピックの番組を見た」という聞こえない人たちに感想を尋ねたところ、今回初めてパラリンピックをきちんと見た人がすごく多かったんですね。世の中のパラリンピックへの興味も広がったと思いますし、この動きがもっと広がって欲しいなと思います。

ありのままの自分を受け入れ、自分を好きになれた。

——聴覚に障がいのある方の中には、手話を使わない方もいます。貴田さんが手話という言語を選んだ理由、手話の魅力とは何ですか?

私は難聴だった頃から、声で話すだけでは気持ちが伝えきれない苦しさというものをずっと抱えていました。でも手話は、そんな気持ちを全部伝えることができます。それが一番大きいですね。いろんな人がいて、そんな人たちに自分の思いを伝えたい。私は手話を言語として選んだという感覚はなく、第一言語が日本語なのと同じようにとらえています。

——今までの人生を振り返って、辛い時期はありましたか?

高校受験と大学受験が苦しかったです。なぜなら、高校受験はともかくとして、大学受験では福祉の専門学部がある大学を受験しようと考えていましたが、入学そのものを受け入れてくれない大学がほとんどだったからです。受験はおろか、入学後の授業を受けるにも何ら保障がない状態で…。福祉の学科なのに断られてしまうんです。その時は、自分が社会からはじかれてしまったような、苦しい思いをしました。苦しいだけではなく「悔しい」気持ちも大きかったですね。

貴田さんが手話で話している写真

——周囲とのコミュニケーションが上手くいかず苦しんでいるような、ろうの若者へ、アドバイスをいただけますか?

十代には、この世代ならではの難しさもあると思います。聞こえる人たちとのやりとりの中で、みんなと対等でいられないことへの抵抗感や強がりが邪魔をして、周囲の配慮をあえて断ってしまうということが実際に私にもありました。私の場合、負けず嫌いな性格だったこともあるかも知れませんが、むしろ難聴の人には比較的多い傾向ではないでしょうか。私には「自分はしゃべれるし、聞こえる人と対等なんだ」という意識があったように思います。自分が聞こえないということを受け入れられるようになるまでは、苦しさは続くのではないかと思います。

そんな私が変わることができたのは、手話と出会えたことに加えて、自分を好きになれたから。そして自分を好きになれたのは、15歳の時に出会った、手話ライブなどを行う「ひよこっち」で知り合った仲間の存在があります。聞こえる人たちは、聞こえない人たちにとっては、時に怖い存在です。でも、聞こえない仲間はスムーズにありのままの自分を受け入れ、相談相手になってくれました。受け入れてくれる仲間の助けがあったことで、中学以降は自分自身を受け止めることができたように思っています。

——不可能だと言われても立ち向える強さは、どのようにして身につけられたのでしょう?

やはり家族の影響があると思います。幼い頃から「無理ではない。可能性は自分で切り開くものだ」と言われて続けてきたので。もちろん、今は私もそう思っています。

※今回のインタビューは、手話通訳を介して行われたものです。

プロフィール:

きだ・みどり。生後5ヶ月で受けた大手術の後遺症で難聴となり、18歳で聴力を失う。3歳からバレエを習いはじめ、大学時代に受けた映画のオーディションで女優デビューを果たす。8カ国の手話を習得し、現在は女優・ダンサーとして活躍するかたわら、NHK Eテレ『みんなの手話』にもレギュラー出演中。リオパラリンピック開催期間中に放送されたNHK Eテレ『みんなで応援!リオパラリンピック』の手話キャスターも務めた。

インタビュー:田中英代
手話通訳者:田村梢

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ライター Media116編集部

障がいのある方のためのライフスタイルメディアMedia116の編集部。障がいのある方の日常に関わるさまざまなジャンルの情報を分かりやすく発信していきます。

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