「”ママになる”を諦めなかった私が伝えたいこと」
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ライター:AYAKA
「ママになること」を諦めなかった私が、娘と過ごす日々の中で見つけた小さな喜びと、たくさんの工夫。「できない」から始まる毎日でも、「できる」を信じて積み重ねてきた日々があります。
右半身に麻痺のある私が、母になって初めて知った世界。抱っこも、買い物も、料理も、何ひとつ"当たり前"じゃない。それでも、娘と過ごす一日一日が、私にとってはかけがえのない宝物です。
制限のある毎日の中で育まれた、私なりの強さと、そっと寄り添うやさしさ、そして母としての願いを言葉にしました。
娘と買い物
娘との買い物は、右半身麻痺のある私にとってとても大変で体力のいる日常でした。
まず、私が娘と行く時は必ず障がい者専用の駐車場を利用します。それに加え、出入口が駐車場から離れていないスーパーを選ぶことから始まります。
なぜなら娘は、ベビーカーや子どもの座席の付いたショッピングカートには乗ってくれません。どこへ行くのも抱っこ紐を装着しての買い物だからです。
娘を抱っこしての買い物では、右足が不自由な私はいつも以上に転倒に気をつけなければなりません。なので、駐車場との距離がなるべく少ない出入口が近くにあるスーパーを選んでいました。
また、抱っこ紐を装着するのに時間のかかる私は、雨の日は屋根のあるスーパーを選んでいました。
スーパー内では、いつも以上に足を上げて歩くことに注意したり、動く娘に注意して品物を選んだり。そんなことに日々、気をつけながら買い物をしていました。
多くの人にとって、スーパーでの買い物は当たり前の日常かもしれません。しかし、右半身麻痺を抱える私にとっては、転倒への不安、動く娘への注意、買い物中も常に緊張感を持ちながら過ごす時間です。決して楽ではありませんでした。
それでも娘と一緒に外出する時間は、私にとってかけがえのない大切な日常のひとつでした。
どんなに小さな外出でも、母として、そして障がいと共に生きる一人の人間として、一歩一歩工夫しながら歩んできた日々。それが今も私の中で確かな力となっています。
▲外出先での食事も、娘との大切な時間。一つひとつの瞬間を大切にしています
「片手の台所」
右半身麻痺のある私にとって、料理は「手際」ではなく「覚悟」から始まります。
片手で鍋を支え、野菜を押さえ、包丁を使う。その一つひとつの動作が、時間と神経を使う大仕事です。
特に子どもが生まれてからは、「食べさせる」ことが私の中で大きな意味を持つようになりました。栄養のあるものを食べさせたい。できれば手作りで。でも、実際はその思いだけでは追いつかない日々の連続でした。
例えば、にんじんひとつを切るにも、右手は脳性麻痺特有の緊張で硬直してしまいます。思うように動かなくなり、片手では安定しません。そのため、まな板の下に滑り止めを敷いたり、重みのある鍋などで食材の安定感をとったりと工夫をしていました。
特に調味料の瓶を開けるのにも苦労しました。右手に麻痺のある私は、物を持つ握力も弱いからです。なので、容器を腕で抱える感じでフタを開けるようにしています。
それでも開かない時には、少し下品かもしれませんが、座って両足で容器を支えて開けています。こうして健常な人なら数秒で済む動作に、私は倍以上の時間を要します。
でも、どうにか娘に安心して食べさせられるものをと、台所で何度思ったことでしょう。
さらに、子どもがまだ小さい頃は目が離せないので、調理中も泣き声が聞こえると中断するしかありませんでした。一度中断すれば、頭の中の手順は乱れ、動線も組み直し。ただでさえ時間がかかる料理が、さらに長引いていきます。
それでも、子どもには温かいごはんを食べさせたい。その一心で、例え時間がかかってもいい。
そんな日々は、ただ「大変」だっただけではなく、私にとっては母としての覚悟と、強さを育ててくれる時間でもありました。
きっと、他の人から見ればなんでもないごはんでも、私にとっては「作れた」という事実が、母としての自信につながっています。今日も片手しか使えなくても、娘に「おいしい」と笑ってもらえる瞬間が、私の小さな勝利に思えます。
「片手の台所」に私は今日も立ち続けます。その時間には、娘への想いと、"母としての意地"が詰まっています。
▲片手でにんじんを切る日常。時間はかかっても、娘のために心を込めて
できることを大事にしてほしい
ある日、食事中の娘がぽつりと言いました。
「ママはお茶碗持たなくていいの?」
右半身麻痺の私は、茶碗を左手で支えることができません。だから毎日の食事は、左手で箸を使いながら、茶碗は置いたまま。当たり前のように見える"お作法"を、私は体ではできないのです。
「ママはね、右手がちょっと動かないから、持ちたくても持てないんだよ。でも、あなたはできるでしょ?できることは大事にしてね」
私はそう言いました。娘は「うん」とだけ言って、お茶碗を持ち直しました。その小さな手に、私は娘の強さを感じました。
それでも、娘には言ってしまう言葉。
「お茶碗はちゃんと持とうね」
どこかで「説得力ないかな」と思いながら、それでも伝えずにはいられないのは、娘が"私と同じ"になる必要はない、と思っているからです。
私にとって「教える」って、時にとても苦しくて、自分の弱さを突きつけられるものです。でも、それでも私は伝え続けたい。できない私だからこそ、できる人には伝えられる"願い"があるから。
ママは、あなたの未来に期待してるんだよ。あなたが"できる"ことを、どうか当たり前と思わず、大切にしてほしい。それがきっと、誰かを思いやる力になると私は思っています。
▲娘と一緒に見つめる未来。『できる』ことの大切さを伝えていきたい
最後に
おむつ替えも、食事も、抱っこも、着替えも。健常のママたちが当たり前のようにできることが、私には試行錯誤の毎日でした。
片手でオムツ替えがこんなに大変だなんて、育児本には書いてありませんでした。だけど、私は"できない"とは思いたくなかった。「私なりにやるしかない」って、根性と周りの支えで進んできました。
私は、障がいがあっても、母になれて良かったと心から思っています。それはきっと、娘の笑顔と、周囲の優しさに恵まれてきたから。
同じような境遇のママたちが「安心して育児ができる」ことが、"特別"ではなく"当たり前"になるような社会にしていきたいです。
▲季節を感じながら歩む毎日。娘との時間は、私にとってかけがえのない宝物
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ライター AYAKA
1995年生まれの29歳 仮死状態で生まれ、脳性まひとなり、右半身不自由な障がい者。 今現在は一児の母親となり、子育てに奮闘中!”障がいがあってもママになって当たり前” 「障がいママサークルkokowa」の代表でもある。
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