「無理なことはない。可能性は自分で切り開いていくもの。」~女優・ダンサー 貴田みどりさん【前編】~
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ライター:Media116編集部
18歳で聴覚を完全に失いながらも、長年のダンス経験を活かし、自己表現の場として女優となる道を選んだ貴田みどりさん。みんなの手話番組出演や親しみやすく明るい笑顔が印象的ですが、「ろう者として演技の第一線で活躍できるロールモデルになりたい」という強い意志の持ち主でもあります。今回はそんな貴田さんに、人生を変えた出来事や女優を目指したきっかけ、前向きに物事をとらえられるようになった理由などを教えていただきました。
3歳で始めたバレエが心の支えだった。
——貴田さんは長年ダンスに打ち込んで来られましたが、どのようなきっかけでダンスを始めたのですか?
まず、私は生まれて5ヶ月の時に、心臓の手術の影響で片耳の聴力を失い難聴となりました。そして15歳からは聞こえる方の耳の聴覚も弱くなっていき、18歳で完全に失聴しました。3歳からクラシックバレエを習い始めましたが、耳が聞こえなければ音楽を楽しむことはできないのではなく、聞こえなくても音楽を楽しんで欲しいという家族の思いがあったからです。
実は、ろう者のダンサーはたくさんいるんですよ。ジャズダンス、ヒップホップなどリズムのわかる音楽に合わせて踊る場合は、音は聞こえなくても「響き」を感じて楽しむことができます。バレエの場合は音の響きを感じるのが難しいという違いはあります。それでもバレエを選んだ理由は、体で響きを感じて踊るのではなく、周りに合わせて踊るという楽しみがあったからです。
——バレエは貴田さんにとってどのようなものですか? なぜ、長く続けることができたと考えていますか?
私は3歳で保育園に入園し、小学校から高校まで聞こえる人たちと一緒の学校へ通っていました。やはり友達との会話はなかなか難しく、つらい思いをすることもありました。でも、放課後にバレエ教室へ行くと、そこには身体表現の場がありました。苦しいことがあっても、それを発散できる場所。だからバレエに支えられていた部分も大きかったと思います。バレエがあったからこそ、人生を楽しむことができたんですね。
テレビや映画で活躍する女優を目指して。
——どのような経緯で女優を目指すことになったのですか?
ダンスに打ち込んできたこと、手話と出会ったこと、大学に進んで海外と日本の文化の違いを学ぶなど、様々な経験の積み重ねを経て、映画のオーディションというチャンスが巡ってきました。その映画とは、全日本ろうあ連盟の創立60周年を記念して作られた「ゆずり葉」という作品です。この頃の私は、女優になりたいと明確に思っていたわけではありません。でも「チャレンジしてみたい」という思いがありました。オーディションを経て、私はこの作品で女優デビューを果たしました。
そして、自分の将来の仕事を考えたときに、ダンスとの出会い、手話との出会いがあって今の自分がいて、ここで女優という道に行き着いたのだと思えました。女優になれば大好きな身体表現をしつつ、活かすことができます。そう決意したのが二十歳の時です。
一方で、私は女優という仕事をやらなければならないとも感じました。その理由は、年下の世代の聞えない人たちの中には「聴こえる人の世界で俳優業を続けるなんて無理」と考えている人がいるからです。でも、そんなことはない。私がそれを変えるロールモデルになりたいと考えるようになりました。
私は高校生の頃に、舞台「ちいさき神の、つくりし子ら」で主演されていたろうの女優さんの活躍を見て、耳が聞こえなくても女優になれることを知りました。彼女はこの作品で第七回読売演劇大賞優秀女優賞を受賞されています。だから「今度は私が女優になって引き継いでいきたい」という思いもありました。そして、舞台で活躍している女優さんはいるけれど、テレビや映画で活躍している女優さんはまだいません。私は負けず嫌いなところがあるので、無理だと言われると「そんなことはない」と返って燃えるタイプなんです。そんなこともあり、テレビや映画で活躍できるような女優になりたいと考えるようになりました。
——女優業を続けていく中で、監督や演出家などからの指示はどうやって受けているのですか?
現場に手話通訳がいないこともあるので、聞こえる方たちの理解を得ることが不可欠です。例えば筆談をしていただく、口径をはっきり出して話していただくなど。それでもやはり稽古していくにつれて、稽古に集中して私が聞こえないということを皆さん忘れてしまうんです。そんな時には、自分から「今は何?」と積極的に声をかけていくことが必要だと思っています。まずは自分から発信していくこと。それが大切ですね。
——現在の貴田さんにとって、女優として活動するための原動力となっているのはどんな思いですか?
日本のテレビドラマや映画でろう者の役を演じるているのは、ほとんどが聞こえる女優さんたちです。でも私たち聞こえない人が見ると、手話や目線の使い方、口の形や表情などに違和感を感じるものです。だからこそ、ろう者の役はろう者の俳優が演じるべきだと思っています。そのためには、私だけでは足りません。テレビや映画の世界が変わるだけではなく、私より若い世代でろうの俳優を目指す人がもっと増えなければ。だからこそ、まずは私が頑張りたいと思っています。そして、演じるということは全身で表現すること。私にとって必要な自己表現できる場でもあります。
——今後、目指したい目標やチャレンジしたいことはありますか?
もちろんあります。テレビ出演の機会が増えていますが、今のところ福祉関係の番組が中心です。民放局のドラマへの出演経験はないので、まずはそれを叶えたいですね。ろう者の役は、ろう者が演じることが当たり前になる社会に変えていきたいです。端役ではなく主役として出演するのが目標です。
(後編に続く)
※今回のインタビューは、手話通訳を介して行われたものです。
プロフィール:
きだ・みどり。生後5ヶ月で受けた大手術の後遺症で難聴となり、18歳で聴力を失う。3歳からバレエを習いはじめ、大学時代に受けた映画のオーディションで女優デビューを果たす。8カ国の手話を習得し、現在は女優・ダンサーとして活躍するかたわら、NHK Eテレ『みんなの手話』にもレギュラー出演中。リオパラリンピック開催期間中に放送されたNHK Eテレ『みんなで応援!リオパラリンピック』の手話キャスターも務めた。
インタビュー:田中英代
手話通訳者:田村梢
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