「ずっと罪を抱え後悔して生きている人は『聲の形』を読め!」【漫画家oyumiの発病体験記】
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ライター:oyumi
こんにちは、oyumiです!今回はいつもの漫画スタイルと違い、『楽に生きるためのヒント』みたいなものが参考になる作品を例にあげたり、自身の経験談を交えたりしながらコラム調で語ってみようと思います。
さて、皆さんは過去に大きなあやまちを犯したことはありますか?
例えばいじめであったり、万引きや窃盗であったり、嘘をついてしまったり、人を傷つけてしまったり……些細なことになればなるほど、誰もが経験したことがあると思います。そしてその中には、すっかり過去のことなど忘れ去った人もいれば、いつまでも罪悪感を抱え込んでいる人もいるでしょう。私は後者でした。
そんな、「過去のあやまち」と「許し」について大きく描いた作品が、先日劇場版で公開されました。
そう、『聲の形』です。
Media116でも何度か記事になっているこの作品。「いじめ」というテーマを軸にして、主人公の石田将也と耳が聞こえない西宮硝子含めた様々なキャラクターたちが過去と現在、そして未来と対峙し、少しずつ変わってゆくさまが描かれています。
この漫画は、作者の大今良時さんが故郷である岐阜にいる間、「岐阜でしか描けないことを描こう」というのがきっかけとなった作品だそうです。2008年に週刊少年マガジン編集部に応募。作品は見事新人漫画賞に入選しました。
ところが、「聴覚障がい者に対するいじめ」というシビアなテーマを扱っているためか、作品の掲載を予定していたのが見送りになってしまいました。その代わりに『マルドゥック・スクランブル』という漫画の作画を担当することになり、『聲の形』はお蔵入りします。
しかしその後、とあるマガジン編集部の編集者が立ち上がり、講談社の法務部と弁護士、そして全日本ろうあ連盟の人たちと『聲の形』の件で再度話し合いを進めることに。見事、およそ2年という期間を経て別冊少年マガジンでの掲載が決定しました。
反響は非常に大きく、週刊少年マガジンにてリメイク版『聲の形』の連載が決定したのです。
この作品のメッセージは何でしょうか。
いじめはよくない?
障がい者を差別するのはダメ?
いじめられる側にも原因はある?
私はそういう話ではないだろうなと思いました。もちろん、それらも重要な問題です。大今良時さんはインタビューで、
「コミュニケーションの難しさ、嫌い合っている者同士の繋がり、許しについて描きたかった」
といったことを答えていました。つまり、これらを描くためにはいじめや障がい、それに対する偏見や差別が最も適した土台となる材料だったのだと考えられます。過去のあやまち。それとどう向き合えば許されるのか。
主人公・石田は、罪を抱えながらどうすれば許されるのか必死で自分に問い続けます。やるべきことをやってから死をもって償うことが”許し”なのか?いじめた人間と和解して仲良くなることが”許し”なのか?
実は私も石田と全く同じような経験がありました。
小学4年生の時、転校してきたMちゃんという子がいました。Mちゃんは当時とてもおとなしく、あまり学校にもクラスにも馴染めなくて、友達がなかなかできませんでした。
しかしどういった経緯かはまったく覚えていませんが、私は気が付いたらMちゃんと一緒に帰る仲になっていました。そのまま中学生になり、クラスが違っても毎朝一緒に登校したり、同じ部活(美術部)に入ったり遊んだりしていました。
その後、私はあることがきっかけとなり、Mちゃんをいじめてしまいます。ハブりというやつです。Aという女子が同じ美術部にいました。元々違う小学校出身でクラスも一緒になったことがなかったため、話したことがありませんでした。
ところがある日、珍しく私のそばに来てこう耳打ちしてきました。
私はあまりのショックでその言葉を真に受けてしまったのです。悲しみよりも怒りが勝ることで、積極的にハブりに加担しました。
その日を境いにMちゃんは孤立状態に。私は「いい気味だ」と思い上がっていました。今思い出しても最低な出来事です。
当然、報いを受けます。因果応報というやつでしょう。今度は私が一人ぼっちになりました。
私は次第に部活へも顔を出さなくなり、幽霊部員となっていきました。偶然か、ちょうどその時期クラス内でも孤立するようになり、丸々1年憂鬱な学校生活を送ることになりました。
あれから1,2,3年…と時が経ち、私たちは高校生に。Mちゃんのメールアドレスをどうやって入手したか覚えていないのですが、私はあの当時のことを謝りました。ずっと言い出せなかったことを文字で伝えたのです。
私は、きっと暴言並べられるに決まってる…「死ね」と言われたって仕方のないことをしたのだから。と、ビクビクしながら返信を待つと、そこには予想外の言葉がありました。
彼女は暴言を返すこともなく、ただ「昔のことを今更うじうじ言っても仕方ない」と流したのです。
私はひたすら、ありがとうありがとうと返しました。しかし、それでも全てが許された気持ちにはなれませんでした。
やがて時が経って大人になり、ある年末実家に帰っていることをFacebookに投稿すると、Mちゃんだけが同級生の中で唯一コメントをくれました。そして大晦日の日、車で私の家まで迎えに来て8年ぶりに再会し、一緒に年を越しました。その時やっと、ずっと心の中に残っていたモヤモヤが綺麗に無くなりました。
けれども罪悪感はいつまでも残っています。Mちゃんに許されたとも思っていません。しかし、自分で自分を認め、許し、そして受け入れることはできたような気はします。少なくとも、罪を償うために死ぬことは、決して償いにも許しにもならない。そのように私は思いました。
皆さんも、他人は自分を許さないかもしれないけれど、勇気を出して本当のことを言えればそんな自分を自分だけでも許せるようにはなるかもしれませんよ。それは今後の人生をものすごく左右するものだろうし、価値観をも覆すと思います。
「何も死ぬことはないのに」
「たかがそれくらいのことで情けない…」
そう言われても、じゃあどうしろと言うんだ…と頭を抱える人に、ぜひ『聲の形』を読んで欲しいです!
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ライター oyumi
(名前 oyumi)1993年3月26日生まれ。高校1年生の時にうつ病になり、一時治ったもののその3年後に躁転し、双極性障害を発病。今はこうして時たま漫画やライターのお仕事を頂いてやらしてもらっています。
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