【連載第最終話】「あの東京への異常な執着は、全て病のせいだったのかもしれない」と気付いた瞬間~oyumi19歳の自立奮闘記!~
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ライター:oyumi
こんにちは、oyumiです。
これまで「自立」についてこだわっていた自分について描いていきましたが、同時に「東京」という地に対する執着心も強かったな、と改めて自分で思いました。
「東京ならいつでも寂しさを紛らわせることができる」しかし実際はトラブルが絶えなかった・・・
どうして東京が良かったのか、東京でなければいけなかったのか、その理由は単純に「地元だと友達が1人もいなくて寂しいけど、東京ならいつでも誰かに会える」からでした。
当時はSNSを活用して、よくいろんな人に会っていたものです。
突然交流する人が増えて、いろんなタイプや年齢の人とも関わるようになりましたが、人との距離感も掴むのが下手であるのに加えて社会性が本当に乏しかった自分。トラブルは避けては通れませんでした。
色々な人とコミュニケーションをとった結果、私は何度も東京と実家を往復しましたし、それ以外にも埼玉県内を転々としたりしていました。
居候したり、一人暮らしを始めたり、半年後には彼氏と同棲したり、1ヶ月でそれも追い出され実家に戻ったり…。はたまたシェアハウスに誘われて住まわせてもらうものの、病気が悪化してまた実家に戻ったり、今度は埼玉の友達の家に居候させてもらうが、すぐまた一人暮らし始めたり、友達の家に半居候したり…。
結果、4年間の中で同じ部屋に1年間住めたのは一度しかありませんでした。
そんな生活をしていたわけですから、自分が疲れていることも無理をしていることも大変だということも、自覚するほど心の余裕がありませんでした。
唯一自分の借りた部屋に1年間住めた時期は、あの4年間の中でも一番平穏でした。
普通にアルバイトできちんと出勤もできて、働くこともできて、社会生活がこなせてて、たまに友達と飲んだり……「やっと普通を手に入れられてる!」と感動したものです。
ところが、ある時病院を変えようと思い、新しい病院で診察を受けたところ、思ってもいない言葉を受けたのでした。
「多分、ご自身が思ってるよりも(双極性障がいの)症状は重いと思います…この薬じゃ足りません。」
ややマジな(?)トーンでそう言われました。
そこで以前処方されていた薬がガラリと変わり、新たに2種類の薬を出されました。
「思ってるよりも重いです」とは言われたものの、もっと適切な薬を飲むことで病状が今より軽くなるならこんなに嬉しいことはない!と思い、私は若干救いにも感じました。
そしてその日の夜から薬を飲み始めることになりました。
翌日。
このときは自分の症状が突然悪化したんだ!と思って絶望して、実家に帰る決意をしました。実際は症状が悪化したのではなく、強めの薬を一気に多い量で出された結果ものすごい副作用が出ただけでした。
1週間くらいすれば副作用も落ち着く、と言われましたが、生活のためにバイトもしなければならない上1週間で治るのか信じられないくらい副作用が重かったので、あれだけ東京に執着していた私があっけなく母に「実家に帰りたい」と電話をしてしまいました。
実家に戻るという「英断」と自立の葛藤のはざまで
私は今まで何度も実家に強制的に帰らされていましたが、いずれもろくに休まずにまた引っ越すというのを繰り返して、良くなる症状も良くならないという状況を作っていました。
自分から実家に帰る決意をして帰った時、最初の1ヶ月は特に症状がひどくて、母と会話が全くできませんでした。それどころか返事をするのもやっと。
単純に声を出すエネルギーが無いだけで、無視してるとか機嫌が悪いとかでは無いのですが、普通はそのどちらかだろうと思うものだと私自身もおもうので、しばらくは母とギスギスの状態が続きました。
1ヶ月も経つとだんだん緊張がほぐれて新しい環境に慣れて休める体制に身体が入ってくのか、声も出せるようになり、食欲も出るようになり。そのうちはやたらと自然のあるところに出かけたくなって、山だったり海だったり湖だったり、母と車で出かけることが多くなりました。
実家に戻ると体力的に少し落ち着いてきて、これまでのことを振り返るようにまで心の余裕もでてきました。その時間が、自分が今まで無茶をしていたことに気付くいいキッカケになったな、と思っています。
「休む」ということをこれまであまり意識してきませんでしたが、きちんと療養生活をしたおかげか、前よりもきちんと休むということを意識的にするようになった気がします。
自分の心身の「休みたい信号」を無視し続けていると大変なことになる。というのを嫌になる程味わったからなのか、その信号を敏感にキャッチするようになりました。
「今すぐ実家の犬に会わないと無理!!」
「山と海に囲まれたとこで息をしないと無理!!(地元が静岡)」
と思い始めたらバイト帰りですぐ実家に帰っちゃいます。
今はそれでなんとか心が荒まずに生きれてます。
療養は大事!
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ライター oyumi
(名前 oyumi)1993年3月26日生まれ。高校1年生の時にうつ病になり、一時治ったもののその3年後に躁転し、双極性障害を発病。今はこうして時たま漫画やライターのお仕事を頂いてやらしてもらっています。
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