ソーシャルフットボールが私に教えてくれたこと~チームエスパシオ竹田幸子さんインタビュー~
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ライター:Media116編集部
こんにちは、Media116 編集部です!画像は、統合失調症と向き合いながら都内でOLとして働く竹田幸子さん(29歳)。実は、精神障がいのある人たちによるフットサル「ソーシャルフットボール」で、全国大会への出場経験をもつチーム「エスパシオ」の選手でもあります。19歳でソーシャルフットボールと出会い、竹田さん自身はどのように変わったのか、インタビューさせていただきました。
体調に変化が現れたのは中三の夏。 高校生になり、統合失調症と診断された。
--竹田さんの障がいは、いつ頃発症したのですか?
はっきりした自覚があったわけではないのですが、中学3年の夏頃に頭痛、めまい、夜眠れないとか、朝起きれないといった不調が現れるようになりました。今になって思うと、それが始まりだったのかなと思っています。
--そういった不調が現れた要因として、どんなことが考えられましたか?
当時私は陸上部に入っていたので、夏休みにはその朝練をこなして、受験生でもあったので塾にも通って、さらに宿題にも追われる状態が続いていたんです。
--体力的にもハードな毎日に加えて、受験勉強というプレッシャーのようなものもあったのかも知れませんね。
はい。それで初めて神経内科に行って診てもらったら、自律神経失調症と診断されました。
--なるほど。
その後は、病院に通いながら受験を終えて、なんとか高校には進学できたんです。でも入学して間もなく、再び調子を崩しはじめてしまって…。今度は精神科へ通うようになりました。
--何か別の症状が現れてしまったのですか?
はい。中学の頃からの症状に加えて、今度は統合失調症の典型的な陽性症状でもある被害妄想が現れるようになってしまいました。友達に私の悪口を言われているんじゃないかって…。そう思いはじめると、どんどん歯止めがきかなくなって、考え込んでしまったり、何もしたくなくなって動けなくなることもありました。
--被害妄想が出たことがきっかけで、精神科にかかるようになったんですね。
はい。被害妄想が決定打となりました。神経内科の先生の勧めで、初めて精神科の先生に診てもらって。でも学校に行けない日が続き、1年留年して、2年生を2回やりました。私の通っていた高校は単位制だったので、3年生に上がることはできたんです。でも、それ以上通うことが困難な状況になってしまい、病院の先生にも相談して、結局高校は退学することになりました。
--そうだったんですね。例えば、お家から出たくなくなって引きこもってしまう…といったこともあったのでしょうか?
私の場合は引きこもりとは少し違っていて、好きなことのためなら外には出られるんです。でもダメなときは本当にダメで、何もせず夕方まで寝て過ごしてしまったり…。そういう自分のことを価値のない人間だと思ってさらに落ち込んでしまうことも、よくありましたね。
--興味のあることのためなら外出は可能だったことが、「ひだクリニック」のデイケアへ通うことも可能にしてくれた、ということなんでしょうね。
そうですね。「ひだクリニック」は私が住む千葉県内にあったことと、精神障がいの人のためのデイケアに力を入れていて、いろんなプログラムが充実していたことが通い始めた理由です。
ソーシャルフットボールと出会い、スポーツを介してのコミュニケーションができるように。
--竹田さんソーシャルフットボールを始めたのは、「ひだクリニック」のデイケアがきっかけだったんですよね?
はいそうです。でも、デイケアには頻繁に足を運んでいたわけではなかったんです。行く度に初めて顔を合わせる人ばかりの状態で、「この前来たときに仲良くしてもらった人が今日はいない」とか、自分も相手もお互いに顔と名前を覚えられないとか、そういうことの繰り返しになってしまい、デイケアからもすっかり足が遠のいてしまいました。
--デイケアに通い始めてすぐに、ソーシャルフットボールを始めていたわけではなかったんですね。いつ頃、なにがきっかけでソーシャルフットボールを始めるようになったのでしょうか?
ええと、デイケアから距離をおくようになって1年が経過したころ、私は成人式を迎えました。同じ歳の人たちが立派な成人になっている姿を見て、自分も「このままじゃいけない」と思えたんですね。それで、まずは週何日という目標を作って再びデイケアに通うようになりました。戻ってみると、デイケア内ではソーシャルフットボールチームの「エスパシオ」が設立されていました。私はすごく興味があったのですが、実は自分から「入りたい」とは言い出せなかったんです。
--それはなぜでしょう?
やはり、人と会ったり話をすることに抵抗があったからですね。ソーシャルフットボールに興味はあったけれど、自分から「入りたい」と言い出すことがなかなかできませんでした。
--それでは、そのような状況でもソーシャルフットボールを始められた理由とは?
エスパシオの大角(おおづの)監督から、ある日「フットサルやりたいんですよね?」って声をかけてもらったんです。実は「ひだクリニック」には、デイケアに通う人たちのご家族のための「家族会」があって、そこで母が大角監督に私のことを話してくれていたようなんです。
--ソーシャルフットボールのどんなところに興味があったんですか?
私はもともと体を動かすことが好きで、中学は陸上部で中長距離をやっていた経験があります。それに、兄が小学校の頃からサッカーをやっていたので、サッカーには親近感を抱いていました。
--ソーシャルフットボールは通常のフットサルとは違って、男女混合チームで行うという特徴がありますよね。実際にやってみて、どんなところが面白いと感じましたか?
最初はとにかく「動けて楽しい!」という思いが一番でした。「エスパシオ」というチーム自体、まだ強豪のイメージが定着する前だったので、プレッシャーを感じることなくのびのびと走れていましたね。
--それでは逆に、どんなところが難しいと感じましたか?
フットサルをやっている時ではなくて、練習を始めるための準備や、みんなとのコミュニケーションに、はじめのうちは苦労しました。チームメイトのことが怖いわけじゃなくて、集団行動の中で「自分は今ここで何をすればいいのか?」というのがわからなかったり、みんなの会話に入るタイミングがうまくつかめなくて、心の中で「どうしよう、どうしたらいいんだろう?」と、いっぱいいっぱいになってしまうことがよくありましたね。
--そのような状態から今にいたるまで、竹田さんご自身はソーシャルフットボールと出会ってどんなところが変わったと思いますか?
一番強く「変わったなぁ」と思うのは、笑えるようになったことですかね。デイケアに通い始めたばかりの頃は下ばかり向いて、誰かとコミュニケーションをとるにも常にびくびくしていましたから。みんなと話していて、面白い話題になっても「笑っちゃいけない」と我慢したり…。いつのまにか人前で笑うことができなくなっていたんですね。
--でも今は、とっても自然で素敵な笑顔をされていますよ。
いやいやいや…。でも「エスパシオ」のチームメイトと関わることで、自然と笑えるようになっていることに気が付いたんです。「あ、私笑えてる」って。バカ騒ぎやツッコミなんかもできるようになって、人と関わることが怖くなくなっていました。
--それは、他のスポーツでも良かったのか、ソーシャルフットボールだから良かったのか、どちらでしょうか?
ソーシャルフットボールは個人ではなくチームで戦うスポーツです。それだけなら他にもいろんなスポーツがありますが、パスをつないでゴールを決めるためには、ただ動くだけじゃなく声をかけあうことが必要不可欠なんです。思い切り走って必死でボールを追いかけていると、そのボールを仲間につなぐために、自然と声が出るんです。男女混合という点も重要だったかも知れません。女子は少ないので、男子のノリに私が入っていくような感じで、コートを出てからも仲間と徐々にコミュニケーションが増えていきました。
--ありがとうございます。スポーツにもいろいろなタイプがありますが、竹田さんにとってはソーシャルフットボールがまさに運命のスポーツだったのかも知れませんね。
そうですね。私にとってのソーシャルフットボールの魅力は、余計なことを考えなくても済むところ。プレイ中はいろんなことを忘れて集中できることも大きいですね。しかも、チームメイトも試合をする相手チームもみんな同じ障がいを持つ人たち。そんな共通点のある人たちと交流できることも喜びです。やっぱりみんな同じような悩みを抱えていたりするので、わかりあえる仲間がそばにいてくれることは心強いし、自分だけじゃないんだって励まされる部分も多々ありますね。
周囲を見て自分が「何をすべきか」を考え 人間関係を築くことが楽しいと思えるように。
--竹田さんは現在お仕事をされていますが、日々の仕事をする上で、ソーシャルフットボールの経験が役に立つシーンはあったりしますか?
はい、ありますね。自分のすべきことを自分で考えられるようになったことが、社会に出てから役立っていると思います。ソーシャルフットボールは体を動かすほかにも、実は頭を使うことが多くて、それがトレーニングになっているんです。
--例えばどんなシーンですか?
試合中はパスをどこに出すかという判断を瞬時にくだす必要があります。それによって、自然と自分の目の前のことだけじゃなく、チーム全体の配置とか動きにも注意を払うようになったんです。今ここで自分に求められることは何なのかを、自分で考えられるようになりました。これを仕事に置き換えると、職場で「これでいいのかな?」と思ったり「こうしたほうがいいんじゃないかな?」と気づいた時に、自分の意見が言えるようになりました。
--具体的にはどんなお仕事ですか?
例えば、棚の中が雑然としていると感じたら整理したり、廃棄の書類がたまっていたらシュレッダーをかけたり。「これやっていいですか?」と自分から申し出ることもあります。以前は自分のことで頭がいっぱいで気づけなかったようなことも、周りのことが見えるようになったことで「自分は何をすべきか」を考えられるようになってきました。
--なんだかとっても頼もしいですね。人と話すのが怖くてびくびくしていた頃とは別人のよう。
そうですか?(笑) でも、症状が出る前の私って、確かに今とは別人のようなキャラクターだったんですよ。初めて会う人に、何のためらいもなく自分から話しかけたりグイグイいけるタイプで…。
--その頃のご自分に戻れてきているという実感はありますか?
そうですね。人と話すことが怖くなくなったり、自然と笑えるようになったり、実感できていることも少なからずあります。それと、感情面では以前より泣かなくなったと思うんです。症状がひどかった頃は、ちょっとしたことでも泣いてしまって。でも今は、ネガティブな考えや思いが全くないわけじゃないけれど、それらを隅に置けるようになったというか、感情がブレにくくなったと思いますね。
--高校時代に人間関係で苦労された経験がありますが、その頃と比べて人間関係はどうですか?
今は、人間関係は楽しいと思えるようになりましたね。でもただ親しく話しかけて距離を詰めて行くだけでは不十分で、人間関係には距離感というものも大事じゃないですか。私はそういう適度な距離感というものがまだよくわからいので、今はそれを学んでいるところです。
--人間関係の距離感は、障がいに関係なく難しいものです。でも距離感の難しさというものを意識できるようになったことも、大きな変化ではないでしょうか。
ありがとうございます。
--竹田さんは昨年、「エスパシオ」のチームメイトである男性とご結婚をされたのだとか?
はい、そうなんです。夫は私より2つ年上で、昨年9月に婚姻届を提出しました。ソーシャルフットボールがきっかけで結婚相手が見つかるとは思いもしなかったですね。通常のサッカーやフットサルと違って男女混合チームで戦うから、異性と仲良くなりやすいという特徴はあると思います。だからと言って、それが男女の特別な出会いを生むような環境だとも思っていないんですよ。男女混合のスポーツは珍しいけれど、世の中はもともと男女混合なので。
--最後に、「Media116」の読者の皆さんに一言いただけますか?
私の場合、最初の一歩を踏み出すきっかけは自分の力ではなかったけれど、もらえたきっかけに対して一歩踏み出すかどうかは自分次第だと思います。勇気をもって一歩踏み出してみてほしいですね。「フットサルをやってみたい!」でも「デイケアに行ってみようかな」でもいいと思います。何かを発言してみること、何か行動を起こすことでもいいんです。でも、もし興味があったら「エスパシオ」に来てほしいですね(笑)。
今は夫婦揃ってソーシャルフットボールの練習に参加しているという竹田さん。現在のお仕事の契約期間が来年で満了になるため、新しいお仕事のための就職活動にも積極的に取り組みたいと語ってくれました。
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