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一つじゃない 第7回

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ライター:風来坊

ケーキは贅沢品でしょうか?
私は手が不自由になる前は趣味でケーキを焼いていたので、そんなに贅沢品だとは思っていません。
しかし、菓子パンと比べ割高なことも知っています。
では、生活保護等の支援を受けている人がケーキを食べることは贅沢なのでしょうか。
確かに、毎日高額なケーキを食べていたら贅沢ですが、自分の財布で解決できる範囲で食べ、明日への活力が湧くなら必需品のように思えます。
モノの見方は一つじゃない。

風来坊の恋愛観も一つじゃない2

障がい者だって幸せを求めてもいい!

私は精神障がいを患っても運良く異性とお付き合いできる機会が何度かありました。
しかし、利き手が不自由になってからは異性とお付き合いできる機会に恵まれていません。
精神障がい者だった頃には、自身の障がいが表面では見えないので隠して異性と出会い、お付き合いすることができました。
しかし、片手が不自由で形状も変化してしまい身体障がい者となった現在は、異性との出会いに二の足を踏んでしまうことがあります。
「普通の人と形が違う自分が異性に受け入れられるのだろうか。」

これは過去の記事で書いた「車いすを利用している男性」の恋愛観と同じもので「障がいのせいで恋愛が上手くいかないのではないだろうか。」という思いと同じものではないでしょうか。
私の主観になってしまいますが、精神障がい者の抱える恋愛への不安と身体障がい者の抱える恋愛への不安は違うのではないでしょうか。
現代の日本は「共生社会」を掲げ、障がい者の社会進出を求めています。
しかし、本当に「共生社会」を目指すなら障がい者に対する支援が「衣・食・住」「働く」だけでなく「憩う」も必要だと私は思うのです。
 健常者だけが遊びやすいスポットはありませんか?
 健常者だけしか参加できない婚活イベントはありませんか?
本当に日本が「共生社会」を実現したいのなら、日本は障がい者の「憩う」から目を逸らしてはいけないのですが、なぜか世論は障がい者の「憩う」を認めない風潮にあります。
こうした風潮は、差別や偏見であり是正する必要があるのです。

※余談ですが私は自身の「普通の人と形が違う自分が異性に受け入れられるのだろうか」という不安を克服しナンパをしています。
一度も上手くいってはいませんが…声のかけ方が悪いのかな。

支援者の障がい者像も一つじゃない2

健常者だけが楽しくなってない?

行政の企画する婚活イベントには、浴衣着用、焼き肉、苺狩り、梨狩りなど様々なものがあります。
しかし、それらは誰でも参加できるものなのでしょうか。
アグレッシブなイベントでは一人では参加できない障がい者もいます。
そもそも行政が企画する婚活イベントは健常者(しかも裕福な人たち)だけを対象にしているとさえ私は思っています。
先日、婚活イベントを企画している企業に「婚活イベントに障がい者が参加しても不利にならない支援はないか?」と問うと「女性も本気で婚活しに来てるんで。」と返ってきました。
「私も本気ですが?」
と嫌味を言いたくなりましたが言わずに耐えた私は偉いと思います。
更に、県の職員に「県では健常者向けの婚活イベントを開催しているが、障がい者も参加できる婚活イベントはないか?」と質問してみました。
すると
「障がい者も参加できる婚活イベントはない。しかし、スポーツイベントなどで交流の場を作っているのでそちらで出会えば良い。」と返ってきたので
「え…スポーツイベントに参加してナンパすんの?ナンパのためにスポーツすんの?しんど。」
と嫌味が頭の中をよぎりました。
これらの対応から、社会や行政の想定の中に「障がい者の恋愛」が抜け落ちているように思いました。
健常者だけでなく、障がい者も人間です。
だから、障がい者にも恋のチャンスが訪れても良いはずです。
もし、障がいのせいでそのチャンスが健常者より少ないのなら、それは行政の支援を受けられても良いのではないでしょうか。
行政に問いたいのは
「障がい者が憩うのは悪いことなのか?」
ということです。

政治家の障がい者像も一つじゃない

障がい者は遺伝子を残せないの?

「優生保護法」という法律をご存知でしょうか。
これは日本が国として「障がい者は地球に遺伝子を残してはいけない」と定めた法律です。
具体的にどんなことが行われたかというと、国が本人の同意を得ずに勝手に生殖機能を手術で廃するのです。
子供を作るという行為が必ずしも恋愛とイコールにはなりませんが、恋愛の一つのピースではあるはずです。
つまり、日本は国を挙げて障がい者が「愛の結晶を作ること」を否定したのです。
この非人道的な法律は1948年から1996年まで存在していました。

忘れてはいけないのは、この時代の政治家は「障がい者は地球に遺伝子を残してはいけない」つまり、「障がい者が愛し合うこと」を認めなかったという事実です。

おわりに

今回、私が最も主張したかった「障がい者が障害のせいで恋愛のチャンスが健常者より少ないのなら行政から支援を受けられても良いはず。」に対して「恋愛するのに人の助けを借りるのは間違っている。」という声が上がるかも知れません。
確かにそうかも知れません。
人のお金でデートをしたり、プレゼントを買う人の恋愛なんて上手くいって欲しくないと私も思います。
しかし、友人を介し出会うきっかけをもらい、恋愛をすることが悪いことでしょうか。
どうしたら恋愛が上手くいくか友人のアドバイスをもらうことが悪いことでしょうか。
友人を行政に置き換えたところで、そんなに大きな違いでしょうか。
日本という国は「障がい者の恋愛」を認めてきませんでした。
しかし、令和になっても政治家が「産めよ。育てよ。」と叫んでいるのですから、政治家の主張を逆手にとって「だったら出会える手伝いを国がしなよ。」と言っても良いのではないでしょうか。
それとも政治家の「産めよ。育てよ。」には、やはり障がい者は入っていないのでしょうか?

私は日本の政治家や公務員がドヤ顔で「共生社会」と主張する度に「思ってもいないくせに。」と嫌味が頭の中を駆け巡るのです。

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Huraibou

ライター 風来坊

東北の片田舎在住のアラフォー。 児童虐待、いじめ、パワハラ、自傷による措置入院を経験。 田舎では福祉に偏りがあると考え30代から大学で福祉を学ぶ。 数年前には事故で利き手が不自由になり、現在はリハビリを兼ねた趣味(プラモデル、ニードルフェルト、UVレジン)に没頭中。 いつか全ての人が楽しめる駄菓子屋を開きたい。

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