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バリアを越えて走れ!自転車職人、半世紀の挑戦

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ライター:keita0206

今回はバイクで東京へ行った際、バリアフリー自転車を作り続けておられる堀田健一さんにお会いし、お話を聞かせていただきました。堀田さんは1979年から延べ46年、2800台超のバリアフリー自転車をたった1人で作り続けてきました。もともとは運送の仕事をされていた堀田さんが、バリアフリー自転車を作り始めたきっかけや、その道のり、ものづくりに対する思いを伺わせていただきました。

①障がい者の希望を産んだ、1台の手作り自転車

東京都足立区在住の堀田健一さん(82)が最初に自作の自転車を作ったのは、1979年。手先の器用だった堀田さんが小学生の息子さんから頼まれ、ペダルを片方踏み込むだけでも前進できる「踏み込み式自転車」を数ヶ月かけて完成させ、後にこの自転車は特許も取得しています。

父が作った自転車を見て息子さんは大喜びし、近所の子供たちも珍しがって乗るほどでした。

堀田さんの運命を変えた、手作り自転車第1号
▲堀田さんの運命を変えた、手作り自転車第1号

ある日、その自転車を見ていた片足が不自由な女性から、「私にも作ってほしい」と懇願されましたが、本職の運送業が忙しく販売もしていなかったため、この時は頼みを断らざるを得ませんでした。

息子さんが飽きて自転車に乗らなくなった後、堀田さんはこの自転車が体の不自由な人々の役に立つと知り、福祉施設への寄付を新聞社に求めました。記事は大きな反響を呼び、体の不自由な人々から「自分にも作って欲しい」と制作依頼が殺到しました。

堀田さんの自転車は、どちらかのペダルを踏み込むだけでも前に進む仕組みだ
▲堀田さんの自転車は、どちらかのペダルを踏み込むだけでも前に進む仕組みだ

堀田さんは制作を自転車メーカーに依頼しましたが、手間やコストがかかるとして断られてしまい、「これは自分がやるしかない」と決心。運送業を畳み、トラックを売り払い、奥さんにも頼み込んで「堀田製作所」を立ち上げました。

②電気も止まった。けれどもペダルは止めなかった。

1979年の堀田製作所立ち上げ後、堀田さんは本格的な自転車作りに打ち込みました。手足が不自由なお客さんとよく相談しながら設計し、一人一人操作方法が違うため、完成後もお客さんの元へ車を走らせて乗り方指導や修理まで行いました。

ネジ1本から手作りしているため、休みなしで朝から夜中の0時まで働いても、ひと月に4台ほど作るのがやっとでした。値段をギリギリまで安くしていたため儲けは少なかったですが、お客さんが嬉しそうに乗る姿が仕事の苦労を吹き飛ばしました。

作業所を立ち上げた頃の様子。自転車にまたがっているのは奥さんの和子さん。
▲作業所を立ち上げた頃の様子。自転車にまたがっているのは奥さんの和子さん。

事業開始当初は注文が途絶えませんでしたが、1年ほどで注文がまばらになり、資金が底をつきました。家に米を買うお金がない日も珍しくなく、子どもの給食費を滞納したり、ついには電気代も払えず電話も止められたりするなど、堀田さんの心身はギリギリの状態に追い詰められたそうです。

③運命を変えた少年との出会い

1983年春、「これを最後の自転車作りにしよう」と店をたたむつもりでいた堀田さんの元へ、北海道から片足が不自由な小学生の男の子から注文が入りました。

羽田空港で男の子を出迎えた際、足が不自由なため降りてくるのに時間がかかることに気づかず待っていた堀田さんは、「体の不自由な人のための自転車を作っていながら、そんなことにも気づかなかった」と、ひどく情けなく感じたそうです。

男の子が試乗し「すごい!これなら僕でも自由に走れる!」と大喜びする姿を見て、堀田さんの胸は熱くなりました。堀田さんは「これまでは商売としてしか向き合っていなかったが、この子のためにもう一度心を入れ替えて自転車作りを頑張ろう!」と再起を決意。男の子は1週間滞在し、帰る前に堀田さんは財布に3000円しかない中、ご両親へのお土産にと東京タワーの模型を買ってあげました。奥さんも堀田さんの再起を応援してくれました。

④「両手がなくてもバイクで走りたい!」

その後も依頼は細々と続きました。

ある男性(生まれつき両腕がない)から、全て足だけで操作できる自転車の注文があり、特殊な設計で完成させると、男性は「人生が変わるほど感激した」と愛用しました。

数年後、男性は遠くまで買い物に行けるよう、エンジン付きの原付バイクを依頼してきました。堀田さんは警察署に許可を取りに行きましたが、「現物がなければ許可も下ろせない」と言われ、許可が下りるか定かではないまま、バイク製作に没頭。

半年かけて、ハンドル・ブレーキを両足で、クラクション・ウィンカーを頭を倒す動作で操作できる発明とも言えるバイクを完成させました。

完成後も許可が下りるまで2年近く待たされましたが、最終的に「一般の方と同じようにテストを受けて欲しい」との返答を受け、男性は私有地で練習を繰り返し、試験に合格。晴れて公道を走れるようになりました。

男性はその後10年間バイクに乗り続け、乗れなくなっても「一生懸命作ってくれたものだから捨てられませんよ」と保管していました。

⑤広がり始める支援の輪

やがて堀田さんの活動を支援する人が現れ始めました。右足が不自由で自転車を作ってもらった吉仲さんは、堀田さんの経営苦を知り、仲間を集めて1991年にチャリティーコンサート(堀田健一支援コンサート)を開催。

1991年に行われた堀田健一支援コンサート。真ん中のスーツの男性が堀田さん
▲1991年に行われた堀田健一支援コンサート。真ん中のスーツの男性が堀田さん

会場には200人ほどのお客さんが集まり、収益のおかげで堀田さんはしばらく材料費を気にせず製作に打ち込めました。

さらには、お客さんたちによる支援者の会も発足し、堀田さんの自転車を福祉器具として認定するよう役所に働きかけた結果、現在、東京や埼玉のいくつかの自治体では購入費の補助が出るようになっています。また、購入者によるサイクリング会も発足しました。

堀田さんの自転車を買った人たちが集まっての、サイクリング会も発足した
▲堀田さんの自転車を買った人たちが集まっての、サイクリング会も発足した

いっとき、1996年の暮れに長年の長時間労働で体調を壊しますが、気力を振り絞って復帰。同じ姿勢での長時間作業を避けるため、仕事の合間にストレッチやトレーニングを取り入れることで、体の調子を取り戻しました。

⑥「HOTTA」マークを世界へ

数々の苦難と支援を乗り越え、堀田さんが作った自転車の台数は46年間で延べ2800台にもなりました。長年の努力が認められ、2005年にはシチズンオブザイヤー、2007年には足立区民文化賞を受賞しました。

現在も電動アシスト付きや折りたたみ式の自転車を精力的に作っておられますが、跡継ぎがおらず、一人で製作に打ち込んでおられます。

最新の電動アシスト付き自転車に乗ってみる堀田さん。
▲最新の電動アシスト付き自転車に乗ってみる堀田さん。

堀田さんは「今後は今までに2800台以上作ってきた経験を通じて、どんな人でも乗れるような自転車のモデルを作りたいです。モデルを決めて量産ができれば、効率的に生産ができ、より多くの人に自転車を届けられますから」と、いきいきと語ります。「HOTTA」マークのついた自転車が、これから世界中に広がることを心より願うばかりです。

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ライター keita0206

1992年福岡県生まれ。先天性四指欠損という、左手の指が生まれつき4本無い状態で生まれる。大学4年生の就活の最中、ママチャリ日本一周を思い立つ。大学卒業後は就職せずアルバイトで資金を貯め、2015年5月〜2016年9月までの約1年4ヶ月で、ママチャリでの日本一周を達成。その後クラウドファンディングにて旅の記録を書籍化。旅後は大阪で一人暮らしをするも、旅したい欲求が溢れ2022年7月〜12月にバイクで2度目の日本一周を達成。現在は自転車インド一周の旅に向けて準備中。

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https://keita-kabu-world.hatenadiary.com/

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