見えないからこそ、誰かと走る―全盲の自転車日本一周
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ライター:keita0206
▲写真:ファミレスでお話を聞かせていただきました
今回は東京で、全盲の自転車日本一周旅人「やまちゃん」こと山本さんとお会いしました。福島へ向かう夜行バスの出発直前という多忙な中、私の急なお願いを快諾し、貴重なお時間を作ってくださいました。
山本さんは過去に目の病気が原因で、視力を失いました。今回はそのような出来事からの苦労や出会い、生活の変化、そして現在挑戦中の「相漕ぎ」による自転車日本一周旅の裏側まで、限られた時間の中で丁寧に語ってくださいました。
山本さんがどのような経緯で視力を失い、なぜ見えない中で日本一周自転車旅を選んだのか、そのエピソードをお届けしていきます。
① 目の前の日常が消えていくー緑内障との戦い
理学療法士として働いていた山本さんが、緑内障に気づいたのは20代前半の頃だった。最初はコンタクトが濁っているのかと感じていたが、眼科を受診すると緑内障が判明したという。
「進行を防ぐために、毎日の点眼や手術も何度か繰り返しました。手術は局所麻酔で、意識がある状態で目に注射されるので、精神的にもきつかったです……」
緑内障は完治が難しい病であり、現在は対症療法しかない。治療を続けるも病気は徐々に進行し、2021年頃から急速に悪化していった。自転車を漕いでいると道路側の車が視界から消え、家では2人の子供のおもちゃを踏んで怪我をするなど、生活に支障をきたすようになていった。
2022年頃には視力も完全に失われ、これまでできていた僅かな事すらできなくなっていた。当時、家では2人の子供の世話が最優先であり、妻からのサポートはどうしても後回しにならざるを得なかった。本職であった理学療法士の仕事も、患者の安全を考えれば辞めざるを得なかった。
育児で手一杯の妻に、自分の世話までお願いするわけにはいかない。そう考えた山本さんは、自ら離婚を申し出た。真っ暗闇の中、山本さんは一人ぼっちの状況に追い込まれてしまった。
② ミュージカルとの出会いが、心を照らした
孤独になった山本さんは、これからの生活を自力でなんとかしていくしかない現実に直面していた。視覚障がい者にはガイドヘルパーという専門サービスが存在するが、利用時間は限られており、いつでも呼べるわけではない。山本さんは、どうしても助けが必要な外出時に絞ってヘルパーを利用するようにした。
その他にも、スマホやPCの読み上げ機能、白杖の使い方を訓練で覚えていった。そうして日常生活を取り戻していく中、1人で外出できる頻度も増えていく。失明してからよく行くようになったジェラート屋さんでは、店員たちから声をかけてもらうようになった。孤独で冷え切っていた心が、だんだんほぐれていくようだったと山本さんは語る。
そんな時、山本さんはあるきっかけでミュージカルと出会う。行きつけのバーで仲良くなった人と訪れたボードゲーム体験会で、市民ミュージカルに携わる人と出会ったのだ。
「ちょうど自分も仕事ができず、手ぶらの状況だったので、何かしたいと思っていたタイミングでした」

▲ミュージカルを通して、多くの仲間との出会いに恵まれた
相手の所属団体も、障がいのある人を積極的に受け入れようとしていた時期であり、すぐに参加が決まった。仲間と協力して一つの作品を作り上げるミュージカルにより、山本さんの人間関係もかつての豊かさを取り戻していく。また、舞台を通じて「目が見えなくても、できる事はまだある」と、自分の中に自信が芽生えていった。
③ 見えないからこそ誰かと走る!日本一周プロジェクト始動
ミュージカル活動で自信を取り戻した山本さんは、視力を失う前に親しんでいた自転車で再び何かしたいと思い始めていた。そんな折、2023年7月に東京でタンデム(2人乗り)自転車の公道走行が解禁された。これにより、全国どこでもタンデム自転車で走れるようになったのだ。

▲目が見えていた頃の山本さん。自転車のレースにも出場するほどだった。
「自分1人でハンドル操作をするのは難しい。それなら、誰かにパイロットとして乗ってもらえば、安全に自転車を漕げるのではないか」
山本さんは、ヒッチハイクのように「その場で自転車を漕いでくれる人」を見つけながら、日本一周したら面白いかもしれないというアイデアを思いついた。進むたびに誰かに協力してもらわなければならないため、通常の日本一周よりも難易度は格段に上がる。しかし、やると決めた山本さんは周囲に協力を呼びかけ、クラウドファンディングで資金を集めた。気づけば山本さんの周りには、失明以前よりも多くの人が集まっていた。

▲この2人乗り用の自転車で、日本一周に挑む
④ 「相漕ぎお願いします」―プラカードがつなぐ出会いの旅
2025年5月、山本さんは特製のタンデム自転車とともに東京から日本一周の旅をスタートさせた。 全盲の彼は「相漕ぎお願いしています」というプラカードを掲げ、声をかけてくれた人に協力をお願いする。自力では先に進めないからこそ、ゆっくりだが確実に、応援してくれる人々との縁が広がっていった。ある時は、コミュニティスペースで自己紹介を兼ねた紙芝居を行い、子供たちから好評を得ることもあった。

▲コミュニティスペースでのお話会は、子供たちに好評だった
そのようなきっかけから、自宅へ泊めてくれる人にも出会いながら旅を続けている。しかし、全盲での自転車旅は負担も大きい。一番の悩みは「その日の寝床探し」だ。目が見えれば適当なスペースで野宿もできるが、周囲の状況がわからない全盲の身では、どこに何があるか把握できない。そのため、普段は終電の終わった駅の自由通路などで野宿をしているという。
また、東京での用事が入るたびに旅を中断して帰省するため、移動費がかさんでしまう悩みもある。 「東京をスタートして、まだ福島までしか進んでいません。当初の想定より時間はかかっていますが、何年かかってもこの旅は達成させたいと思っております」 そう語る山本さんの瞳からは、力強い意志が感じられた。
⑤ 見えない世界の、まだ見ぬ可能性へ…
山本さんは、自身の活動を通じて視覚障がい者の日常を多くの人に知ってもらいたいと考えている。
「例えば盲導犬も、すぐに支給されるわけではなく2〜3年の順番待ちです。1匹育てるのに500万円以上のコストがかかります。ガイドヘルパーの支給時間も人によってまばらです。まずはそういった現状を知ってもらうことから、福祉の輪は広がっていくのではないかと思っています」
また、視覚障がい者の新たな可能性も旅の中で見つけていきたいと語る。 「例えば福島では、昔は養蚕が盛んでした。蚕の糸は極めて細いですが、視覚を遮断している分、感覚が鋭い僕らは糸の端を見分けやすい。昔は視覚障がい者も養蚕の仕事に携わっていたと聞いたこともあります。そんなふうに、僕ら障がい者が地方創生に関われれば良いなとも考えています」

▲旅でお世話になった場所にて、お手伝いも行っている。
何かを失うということは、同時に何かを得ることでもある。山本さんは視力を失ったが、同時にたくさんの仲間や、新しい道、そして自身の使命を見つけた。彼の活動が障がい者福祉の認知向上につながると信じ、同じく障がいを持つ身として、私も彼の背中を全力で応援していきたいと思った。
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ライター keita0206
1992年福岡県生まれ。先天性四指欠損という、左手の指が生まれつき4本無い状態で生まれる。大学4年生の就活の最中、ママチャリ日本一周を思い立つ。大学卒業後は就職せずアルバイトで資金を貯め、2015年5月〜2016年9月までの約1年4ヶ月で、ママチャリでの日本一周を達成。その後クラウドファンディングにて旅の記録を書籍化。旅後は大阪で一人暮らしをするも、旅したい欲求が溢れ2022年7月〜12月にバイクで2度目の日本一周を達成。現在は自転車インド一周の旅に向けて準備中。
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