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「ろう者のリアルな姿を知って欲しい」—女優・忍足亜希子さんインタビュー【後編】

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ライター:Media116編集部

ろう者の女優として知られる忍足亜希子さんは、2009年に結婚、2012年には出産も経験している一児の母でもあります。そんな忍足さんに、夫である俳優の三浦剛さんとの出会いや結婚、子育てについて、教えていただきました。

出会いから8年を経て結婚。手話がふたりをつないでくれた。

Q:三浦剛さんとの出会いから結婚までのエピソードを教えてください。

2001年に『アイ・ラヴ・ユー』の続編となる『アイ・ラヴ・フレンズ』という映画で、私の夫役を演じたろう者の俳優さんが、共演者だった俳優の萩原聖人さんに「お互いの野球チームで交流試合をしませんか?」と声をかけたのがきっかけです。私はチームの応援をしに行きましたが、萩原さんのチームのメンバーに夫がいて、そこで初めて出会いました。彼は演劇集団キャラメルボックスに所属する舞台俳優で、当時私はキャラメルボックスの舞台に客演させていただくことが決まっていたこともあって、挨拶をさせていただきました。

私が出演したキャラメルボックスの舞台とは、2002年に上演された『嵐になるまでまって』という作品です。私はろう者の役で、その弟役の俳優さんは手話を覚える必要があり、他の出演者の方たちも指文字を一通り勉強してくれたんです。夫は手話を使う役ではありませんでしたが、舞台の休演日にメールが届いて、映画に誘ってもらいました。その日、一緒にお昼を食べることになりましたが、彼は「手話を覚えたいから」と、あえて筆談ではなく、わからないなりに手話を使って、手話を覚えようとしてくれました。

忍足さんのインタビュー風景の写真

——「僕の一目惚れだったんです」と話してくれたのは、この日、手話通訳をしてくださった夫の三浦剛さん。ここからは、ふたりのエピソードを三浦さんのお話に基づきご紹介します。

三浦さんと忍足さんのお付き合いは、7カ月くらい過ぎたところで、忍足さんが三浦さんをふる形で終わってしまいました。その後も、忍足さんはキャラメルボックスの舞台を、年に1〜2回は観に行くという日々が6年続いていました。あるとき、上川隆也さんの主演舞台に三浦さんも出演することになり、ちょうど初日を観に来ていた忍足さんは、終演後のパーティにも出席。劇団の社長が「せっかく忍足さんが来てくれたのだから」と、6年前に忍足さんの弟役を演じた俳優さんに通訳するよう指名するも、その俳優さんは手話をすっかり忘れてしまっていました。すると今度は、上川さんが三浦さんに通訳するよう指名したのです。実は上川さんは、内緒にしていたはずのふたりの交際のことを知っていて、あえて三浦さんを指名したのだとか。三浦さんがいざ手話通訳をやってみると、6年のブランクがあったにもかかわらず通訳は成功。それがきっかけでふたりは再び連絡を取り合うようになり、出会いから8年、トータル2年の交際期間を経て、2009年ついに結婚。上川隆也さんは忍足さんとは過去にテレビドラマで2回ほど夫婦役で共演していた仲でもあり、ふたりの間を取り持ってくれた存在と言えるそうです。

Q:夫婦揃って「演じる」を仕事にしていることで、どんなメリットを感じていますか?

お互い台詞合わせを手伝っています。彼の相手役をする時には、私は手話、彼は声に出すことでお互いに練習ができます。ほかにも、演じるときの感情や、舞台や映画を観た感想をお互いに述べ合うことで、今まで以上に演技を細かく見ることができるようになりました。以前は他の人の演技を観ても「すごいすごい!」という感想しか出てこなかったんですよ。私自身の演技の幅も深まり、ろう者であるかどうかに関係なく、芝居を観る目線が深まったように思います。

お互い歩み寄って理解したいと思うことで壁は取り除ける。

Q:結婚に際して、不安に思ったことはありませんでしたか?

結婚相手に関しては、私の両親は聴者・ろう者関係なく、私の好きになった相手ならいいよと言ってくれました。でも、私が一番心配したのは彼側の家族、特にご両親が私を受け入れてくれるだろうかと不安でした。ろう者の友人からは、相手の両親に受け入れてもらえないという話をよく聞いていたので…。

実際にお会いしてみると、彼の両親にはすごく温かく受け入れていただけました。実は偶然にもお義父さんは以前から私のことをご存知で、テレビ番組に出演したのを観て以来のファンだったということで、ふたりの結婚をすごく喜んでくれました。

Q:出産では、どのようなことに不安を感じましたか?

出産に関しては、私には赤ちゃんの泣き声が聞こえないので、「どうやって育てていけばいいのかな?」と心配はありました。出産には、夫が立ち会って通訳してくれるのが理想的でしたが、もし立ち会えなかった場合のために、病院の方たちが「いきんで」「吸って」「吐いて」などの文字を書いたパネルを用意してくださったんです。出産予定日は、夫の名古屋公演が決まっていたのですが、予定日よりも2日早く、夫が名古屋に移動する日に産まれたことで、出産に立ち会って通訳をしてもらうことができました。病院の方が準備してくださったパネルは使わなかったけれど、そのように準備を整えていただけたことで安心して当日を迎えることができました。

Q:出産後の育児では、苦労はありませんでしたか?

出産直後の入院中は授乳を4時間おきに行いましたが、看護師さんに「もし娘が泣いたら教えてください」とお願いして、協力をいただきながら過ごしました。退院してからは、「この後どうやって育てていけばいいのかな?」と思いました。前もって準備していたこととして、赤ちゃんの泣き声に反応する機械を用意していました。これは、ろう者のための製品というわけではなくて、赤ちゃんが泣くとランプが付いて教えてくれるというものでした。これが、夜間はとても効果がありました。

夜すごく疲れているときは彼が手伝ってくれたり、交代でミルクを作るなど、ふたり協力し合って育児に取り組みました。でも1人でいるときはすごく不安でしたね。ただ、娘は口の中に何でも物を入れる癖がなかったので助かりました。出産後は1カ月間は外に出られなかったことがストレスで、早く外に出たいなと思いながら過ごしました。

その後、「言葉をどうやって覚えさせたらいいのだろう?」と考えた結果、彼は声で話して、私は手話を使って、声と手話の2つを使って娘を育てています。嬉しかったのは、娘が言葉よりも先に手話を覚えてくれたこと。10カ月のときに、離乳食を食べながら初めて手話で「おいしい」と表現してくれました。それからは少しずつ「おやすみ」「食べたい」など簡単な手話をしてくれるようになって、4歳になった今は手話で一通りの日常会話ができるようになっています。

忍足さんのインタビュー風景の写真

自分の「やりたい」という気持ちを大切に。

Q:聴覚障がいのある当事者に、楽しく前向きに生きていくためのアドバイスをお願いします。

子どもの頃の私には、いろんな夢がありました。でも、ろう学校の先生に「あれは無理」「それも無理」と言われてしまいました。飛行機に乗る機会が多かったので、キャビンアテンダントになりたいという夢を持ったことがありましたが、サービス業はコミュニケーションが大切なので、耳が聞こえないとお客様へのサービスができません。漫画家もいいなと思った時も、ろう学校の先生に「漫画家になるには勉強が必要で、特に国語力がなければならない」と言われました。先生が言うには「ろう者は国語能力が低いから」と。

確かにろう者は、「学校へ行く」ではなく「学校を行く」など、てにをはを正しく使って言葉をつなげるのが苦手です。やはり、私たちは耳からの情報がないので、目で情報を読み取るしかありません。聴者は毎日毎日言葉を聞いて情報が蓄積されていくのに対し、ろう者の場合は目で観て覚える以外に方法がなく、どうしてもズレが生じて遅れてしまいます。

実はろう学校を卒業した後、就職するか進学するかで迷いました。就職の場合、やりたい仕事がどれも無理と言われたことがストレスになっていたので、自分にはどんな仕事が向いているのかわかりませんでした。私には仕事を選ぶことができなかったんですね。

一方で、もっともっと勉強したいと思うようになって、短大に進学しました。卒業後に就職しましたが、やっぱり壁にはぶつかりました。やっぱり自分がやりたいと思えることや、趣味や特技があればそれを生かして、目的や目標を持って貫いてほしいと思います。私はそれを見つけたのが遅かったけれども、これからの人たちには、自分のやりたいという気持ちを大事にして頑張ってほしいと思います。

コミュニケーションが苦手なろう者の方は多いのではないでしょうか? しゃべれないとか、恥ずかしいとか、そんなの気にしないで、手話でも筆談でも方法は何でもいいと思うんです。でも、筆談は言葉を使うので、本を読んで言葉を覚えたら、恥ずかしがらずに外国人に話しかけるくらいの気持ちで、使ってみることが大事だと思います。もちろん私も頑張ります。


プロフィール:

1970年北海道生まれ。青葉学園短期大学卒業。5年間の銀行勤務を経て、1999年に公開された映画『アイ・ラヴ・ユー』の主役にオーディションで選ばれ、女優デビューを果たす。聴覚にハンディキャップのある女優が映画の主演を務めた日本初の映画として注目を集める。同作にて毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞受賞。2002年、舞台『嵐になるまで待って』での共演をきっかけに演劇集団キャラメルボックス所属俳優の三浦剛さんと結婚。2012年に長女・優希ちゃんを出産。

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ライター Media116編集部

障がいのある方のためのライフスタイルメディアMedia116の編集部。障がいのある方の日常に関わるさまざまなジャンルの情報を分かりやすく発信していきます。

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