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「困難を音色に変えて ― ギタリストKyotaの挑戦」

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ライター:keita0206

こんにちは、上肢障がいを持つケイタです。先日、福岡・天神の路上で一人のギタリストと出会いました。
彼の名はKyotaさん。ジストニアという難病と向き合いながら、音楽活動を続けています。
今回はそんなKyotaさんに、病気のこと、そして音楽と共に歩んできた人生についてお話を伺いました。

路上でのkyotaさんとの出会い

急なお声掛けにも、快く対応してくださった。
▲急なお声掛けにも、快く対応してくださった。

福岡・天神。夕暮れ時、まだ昼間の熱気が残る中で街を歩いていると、雑踏の間から澄んだギターの音色が聞こえてきた。演奏していたのはギタリストのKyotaさん(35)。

歌わず、ギター一本で聴かせるソロスタイルだ。立ち止まって聴けば、プロの演奏と遜色ないほどだが、実はKyotaさんは「ジストニア」という神経の病気を抱えている。

右手の親指が思うように動かず、ギターを弾くのに大きな制約があるのだ。

「やっと6割くらい回復したところです。以前はピックを1日20回も落として、まともに弾けませんでした」

そう笑いながら話してくれた。

知られざる難病・ジストニアの発症と葛藤

親指はテーピングで固定して、工夫している。
▲親指はテーピングで固定して、工夫している。

ジストニアは日本ではまだ認知度が低く、Kyotaさん自身も診断されるまで名前を聞いたことがなかった。

「5年前、ギターを弾いていたら指が動かなくなってきて。練習不足かなと思ったけど一向に改善せず、いくつもの病院を回りました」

ようやくわかった病名がジストニア。神経のコントロールが効かず、筋肉が意図せず収縮してしまう病気だ。症状は人によって異なり、文字が書けなくなったり、口の開閉がうまくできなくなる人もいる。

原因は大きく3つ。遺伝、他の病気や薬の副作用、そして職業的な習慣。Kyotaさんの場合は日常的なギター演奏によるもので、右手の親指が内側へ巻き込むように動いてしまう局所的な症状だった。

手術による治療も一応はある。ただし内容は特殊で、局部麻酔を用いつつ、実際にギターを弾きながら頭蓋骨に穴を開け、そこにレーザーを照射して神経を焼き切るというもの。費用が高額な上、成功率も高くなく、再発のリスクもある。そのため受けられる人は多くない。

「医者や本を調べても答えがなく、結局は自己流でリハビリをするしかありませんでした」
現在はテーピングで親指を固定し、工夫しながら演奏を続けている。

音楽との出会いと歩み

バンド活動をしていた頃のKyotaさん
▲バンド活動をしていた頃のKyotaさん

ギターとの出会いは中学1年の音楽の授業だった。課題でギターを弾く必要があり、家にあった父のギターを手に取ったことが始まりだった。最初は課題のためだったが、弾くうちにギターの持つ魅力に引き込まれていった。

高校に進学したものの、次第に「音楽で食っていきたい」という思いが強くなり、担任に相談。両親は反対だったが、先生が間に入り、説得してくれたことで高校を辞めることになった。
「今思うとよく許してくれたと思います。自分ひとりでは両親を説得できませんでした」

その後は働きながら音楽活動を続け、10代から20代はバンド活動にすべてを注いできた。

どん底からの再起、路上への復帰

チラシには簡単なプロフィールと、SNSのQRコードが載っている。
▲チラシには簡単なプロフィールと、SNSのQRコードが載っている。

30代になった頃、先述したようにジストニアの症状が現れた。病名がわかって3ヶ月間、ギターから距離を置いていたが、しばらくぶりにギターを触っても症状が改善していなかった。

「正直、かなり落ち込みました。人生を賭けてやってきたので、生きてる心地がしませんでした…」

それから1年ほどは家にこもり、ひたすら試行錯誤を繰り返しながら、リハビリに励んだ。しかし外に出ないと、人前に出るのもだんだん億劫になってきたため、思い切ってアウトドアに身を投じてみた。
違うアプローチをすれば、何か変化があるのではないかと言うKyotaさんなりの考えだった。自然の中で、ギターを弾きつつのキャンプは、重苦しかった心が救われるようだったと言う。
それから定期的に車を走らせては、自然の中でギターを弾くようになった。

そんなある日、いつものように公園でギターを弾いていると、男性から声をかけられた。遠目で聞いていたが、とても上手なので、近くで聞かせてもらいたいと言われた。病気のせいとはいえ、実力を出し切れていない自分に不甲斐なさを感じていただけに、男性の申し出が嬉しかった。

しかしそれより驚いたことは、久々に人前でギターを弾いたとき、わずかながら親指を動かせたのである。新しい発見だった。

それからだんだんと、人の多い公園などで演奏するようになっていった。思い切って、駅前の路上にも勇気を出して足を運んでみた。
病気になる前は難なく路上で弾けていたが、今の状態で弾けるのか、不安でいっぱいだった。しかし実際にやってみると、立ち止まって聞いてくれる人や、チップを投げてくれる人もいた。
だんだん希望も見えてきて、2022年末くらいから毎日路上で演奏するようになっていった。

思うようにギターを弾けなくなって、諦めそうになる気持ちもあったが、その度父の言葉に支えられてきたとKyotaさんは話す。

「父も元々ギタリストでしたが、僕が病気と診断される約2ヶ月前に亡くなっているんです。元気だった時から亡くなる直前まで、音楽はずっと続けてほしいと言われてきました。『そんなこと言われなくてもわかっている』と言う気持ちで聞き流してましたが、いざこの病気になって、何度も父の言葉に救われてきました」

病を個性に変えて、世界へ音を届ける夢

明るい音色が、忙しさに追われる人々の心をふと立ち止まらせる
▲明るい音色が、忙しさに追われる人々の心をふと立ち止まらせる

今後は音楽活動を続けながら、ジストニアの事や、自分の活動をもっと多くの人に知ってもらいたい。その発信も、SNSを通じて行っていければとKyotaさんは話す。

「この病気はまだほとんどの人に知られてなく、もう症状が出ていながらも気づいてない人も少なくないと思うんです。そういう人たちが病気だと気づけるきっかけにもなればと思ってます。それに、こんな状態でもギターが弾けている自分を見て、困難な状況でも諦めなければ、やり方はいろいろあるのだと知ってもらえたら嬉しいです」

ゆくゆくは自分の病気をも個性の1つとして音楽に昇華していきたいと話すKyotaさん。最終的には海外で音楽活動していくのが夢だと言う。

「その前に日本各地で実績を積まないといけませんが」

Kyotaさんは頭をかきながらそう言った。取材を終えて歩き出すと、街の灯りとざわめきに重なるように、Kyotaさんのギターが背中を押すように響いてきた。

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ライター keita0206

1992年福岡県生まれ。先天性四指欠損という、左手の指が生まれつき4本無い状態で生まれる。大学4年生の就活の最中、ママチャリ日本一周を思い立つ。大学卒業後は就職せずアルバイトで資金を貯め、2015年5月〜2016年9月までの約1年4ヶ月で、ママチャリでの日本一周を達成。その後クラウドファンディングにて旅の記録を書籍化。旅後は大阪で一人暮らしをするも、旅したい欲求が溢れ2022年7月〜12月にバイクで2度目の日本一周を達成。現在は自転車インド一周の旅に向けて準備中。

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公式HP
https://keita-kabu-world.hatenadiary.com/

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