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一つじゃない 第3回

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ライター:風来坊

親子の熊を題材に取り扱ったドキュメンタリーを見たことはありますか?
小さな子熊が兄弟や母熊に甘える様子はとても可愛いです。
また、母熊はいたずらっこな子熊達に振り回されながらも必死に育児と向き合っており母の愛を見ることができます。
しかし、鮭を題材に取り扱ったドキュメンタリーを見ると、熊は鮭を食べる恐怖の存在に見えるのです。
人の視点は一つじゃない。

芸能人も一つじゃない

2021年5月、ある番組内で殺人事件の容疑者に対して落語家さんが「犯人は精神障がい者なのではないか」とコメントし話題になりました。
私自身が精神障がい者なので彼の発言に「精神障がい者は犯罪者か!」と憤りましたが、彼の発言から綺麗事ではない人の本音が見えた気がしました。
つまり、障がい者に対する差別や偏見が現存していると証明されたようで妙にすっきりしたのです。

父兄も一つじゃない

「養護学校」という言葉をご存知でしょうか。
障害を持つ子供さんたちが勉強する学校のことを現在では「特別支援学校」と呼びますが過去には「養護学校」と呼ばれていたのです。(現在も養護学校と呼ばれている学校もあります)
今から約30年前、私の小学校の同級生に障害のある男の子がいました。
当時の子供たちは「養護のA君」と呼んでいました。
子供たちの中で「養護」とは蔑称であると暗黙の了解の形で広がっていました。
しかし、この考え方は子供たちだけのものではありませんでした。
他の学年にBちゃんという他の子たちより動作が遅かったり、勉強や運動が苦手な子供がいました。Bちゃんのせいで授業の進捗が遅れていると思い込んだ父兄たちが「Bちゃんのお母さんはどうして養護学校に入れないんだろう」「教師から養護学校に行くように言われているのに親が意地になっていてはBちゃんがかわいそう」等のBちゃんの心配をしたふりの障がい者批判と家族批判をする主婦たちの井戸端会議を当時は散見しており、それを見聞きした子供たちも「障がい者=養護=蔑称」という考えが植えつけられるのも当然だったのかも知れません。
また、私の父は私が勉強や運動でふがいない成績を出すと「養護に行くか?」と迫り、それに小学生だった私は泣きながら「嫌だ」と言ったのでした。
つまり、当時の父兄にとって「養護学校(特別支援学校)」は懲罰として入れられる場所という認識だったのです。
そして、先日親戚の集まりで聞こえてきた会話が
「お行儀良くできないと特別支援学級に入れるぞ」
というものでした。
私が小学生だった頃から約30年経った令和の現代でも「障がい者」は蔑称と考える父兄は存在するようです。

色眼鏡で見る人のイラスト(男性)

芸能人も一つじゃない2

私は毎週見ているバラエティ番組があります。
それは毎回「お題」に沿ったトークを芸人さんたち面白おかしくするもので年末などには長時間の特番も放送されています。
ある回では「ネガティブな考えをやめられない」というお題で番組が進んでいきました。
「面白い話を沢山する芸人さんでも私のように悩んで落ち込むんだ」
そう思いほわほわしているとある芸人さんが
「ココは何の病院やねん」
とツッコんだのです。
私は
「え…悩んだりクヨクヨすると病院に行くって…外科?内科?これって精神科のことを茶化してる?」
と困惑していると客席から笑いが起きたので
「精神科を嘲笑の的にすることに世の中の人は抵抗がないんだ」
と精神科に対する認識の歪みが社会には存在すると見付けた気がしたのです。

流行歌も一つじゃない

過去の流行歌で「〽ナンバーワンにならなくていい」という内容の歌詞がありました。
この考え方は日本社会に浸透しているでしょうか。
全ての人が唯一無二の存在とは言いながら他者と同じことを強要する社会ではありませんか。
例えば、知的障がい者の基準は18歳までにIQ70未満で固定されている者とされています。
噛み砕いて話すと「みんなと同じお勉強ができない人は障がい者です」と国が決めているのです。
私は日本の制度や政策には「柔軟性と責任感がない」と常に考えています。
どうしてIQテストで知的障害の有無を判断するのか?

それは国が把握しやすいからです。
「基準」という物差しを用意し、それに合うか否かで仕事をすれば良い。
現場で柔軟な判断など必要ない。

しかし、IQが70未満でも自動車の運転免許を持てますし、幸せに暮らしている人もいます。
逆にIQが70以上でも生活に支障を感じている人もいます。
近年、必死に叫ばれている「多様性」や「共生社会」ですが、国自体が古い物差しを片手に時代の変化に付いていけずに立ち尽くしている現状では、その実現は難しいかも知れません。
基準に合う、合わない、ではなく困っている人が助けてと言える場所の明確化と困っている人に寄り添う姿勢が国には必要なのですが国が見ている先はどこの誰なのでしょう。

おわりに

各々が「特別なオンリーワン」という価値観が日本社会に浸透しているなら究極の「One Off」である障がい者はどのように見られているでしょうか。

※「One Off(ワンオフ)」は、私の大好きなプラモデルの漫画では「自分で手作りした世界に一つしかないモノのこと」と表現されています。

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Huraibou

ライター 風来坊

東北の片田舎在住のアラフォー。 児童虐待、いじめ、パワハラ、自傷による措置入院を経験。 田舎では福祉に偏りがあると考え30代から大学で福祉を学ぶ。 数年前には事故で利き手が不自由になり、現在はリハビリを兼ねた趣味(プラモデル、ニードルフェルト、UVレジン)に没頭中。 いつか全ての人が楽しめる駄菓子屋を開きたい。

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